堀船三丁目の歴史
堀船三丁目は、江戸時代から続く歴史ある地域です。この地域は、かつては農業地帯として栄え、現在でもその面影を残しています。また、昭和初期には工場が進出し、地域経済の発展に貢献しま した。今日では、住宅地としても人気があり、多くの人々がこの地域での生活を楽しんでいます。
町会会館の歴史
1945年(昭和20年)
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第二次世界大戦の末期、3月10日、アメリカ軍による東京大空襲により東京の下町は壊滅。
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4月13日夜半から14日未明にかけての城北空襲により、堀船の町は白山神社と福性寺とその一角を除き焼土と化した。
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8月15日、国民は、昭和天皇のラジオ放送により、ポツダム宣言の受諾による無条件降伏の敗戦を知ることとなった。
“国破れて山河あり”の杜甫の詩の如く、各地に四散していた町民も焼野原になった町へ戻り、自らの住まいを、
そして、町の再建に取り組んだ。
1950年(昭和25年)
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10月、未だ焼跡の残る中、有志の発案により、新生堀船三丁目町会が誕生した。
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初代会長は水野新治氏、現会長榮隆男は10代目となる。
1963年(昭和38年)
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東京オリンピックの前年、町会員が未だ1000軒に達していなかったが、復興なった町会は、自前の町会会館の建設を決断し、募金活動に入った。
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その結果622名から12,786,700円、現在の価格では約1億5千万円に相当する寄付金が集められた。
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この資金を基に、現在地の約80坪強の土地を購入(借地)、2階建ての(旧)会館を建設。
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区内でも稀にみる立派な会館は、町民のシンボルとして、町民の生活文化の拠点となり、冠婚葬祭等にも頻繁に活用された。
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平成21年11月、7代目会長山岸桂子氏は、土地を買い取る交渉に成功。
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令和元年11月、金融機関からの借入金を完済し、土地は名実共に町会の所有地となった。
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しかし、この間、1995年7月17日の阪神淡路大震災、更に2011年3月11日の東日本大震災を経て、旧会館の耐震構造が震度5弱で崩壊の危険という指摘を役所から受けることとなった。
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松岡前会長時に改築の発案はあったが実らず、
2021年(令和3年)
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現幹部会に於て、会館改築の是非の議論を重ねた上、再建を決定。
2022年(令和4年)
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具体案検討して、町会員への説明会を催し、意見聴取の上、12月13日、臨時総会に於て建築方針を決定。
2023年(令和5年)6月
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プロポーザル方式による業者選定の上、薮崎工務店に建築を依頼。
同年9月30日、地鎮祭、12月16日、上棟式、翌2024年(令和6年)、3月13日、完成引渡。
3月31日開所祓い及び開所式を行い現在に至る。
この新しい町会会館が、街の皆さんの新たな絆作りの場となり、さらに、安らぎの場となることを切に願っています。
隅田川
隅田川は、東京都内を流れる川の一つで、日本の文学や芸術においても重要な役割を果たしています。その美しい景色や歴史的な価値は、多くの人々に愛されています。隅田川を訪れることで、日本の文化や歴史を感じることができます。



東京さくらトラム
(都電荒川線)
東京さくらトラムは、東京都内を走る新しい路面電車です。このトラムは、都内の観光名所を巡るルートを走り、観光客にとって便利な交通手段となっています。東京の街をゆっくりと巡りながら、桜の季節には特に美しい景色を楽しむことができます。